えきふの夢

アニメ・マンガ・ゲームの感想や萌え語りを書いたりしてます。

144話放送前に書いておきたいこと


「お互い最後まで勝ち残ろう!」


早く日曜に来てほしい気もしますし、まだ来ないでほしいなという気もします。

この一年半くらいデニスデニスと狂ってきましたが…そのうちのほとんどは
「デニスの出番まだ!?!?」って言ってる時間であったと思います。
画面にも映らず話題にすらされないデニスの事を勝手にずっと考えて勝手に悶々とする日々でした。
彼が実際に物語のステージに上がってライトを浴びた時間はとても短かいのです。
いつも「まだ~!?まだ~!?」って騒ぐのに、本当に出番が来るとわかった時には緊張で絶命しそうでした。
74話の時は楽しみでしょうがなくって、112話からの114話を前にした時は不安でいっぱいだったりなんかしました。

でも、そうやって動悸がやばくなるのも今回で最後なんですね。寂しい限りです。

しかし、「もう出番ないしフェードアウトだよね…」って思っていたデニスが最後にもう一度大舞台を与えられた事、
もう一度彼の出番にドキドキする時間がもらえた事が本当に嬉しいです!!!
そしてこの最後の緊張が不安じゃなくて、めっちゃ楽しみって気持ちで溢れてる事も。

そりゃあ、次回だって全部私の期待通りになるわけじゃないかもしれない!!!!
でもめっちゃ楽しみですし、めっちゃ楽しみにしたいんです!!!!

だってやっぱ最後ですし!!!!!デニス・マックフィールドが現行コンテンツであり、
柿原徹也さんの現行キャリアであるのは今だけなんですよ!?!?!?!?

もうすぐ確実に終わってしまうこの時間を、一瞬一瞬大切に噛みしめたいんですよ!!!!!(;∀;)

私にとっては遊戯王のリアタイ自体ARC-Vでひとまず最後になっちまうしな!!!!!/(^o^)\(VRAINS見れません!!!!)

今のうちに全力で騒いでおきたいんだよ!!!!!!!!!!!!

そんなわけで、放送を見る前に次回やARC-Vの結論自体に期待してる事を書いておきたいと思いますっ!!

 

まず、なんで次回予告のデニスにワクワクが止まらないかを説明させてほしい。
お前いつもなら解釈違い来るかもって怯えてたじゃねぇかよと。なんで今回はそんなに素直に楽しみにしてんだよと。

いやまあ確かに細かい部分で解釈違いはあるかもしれないなとも実は思ってますよ。
でもね、あのたった30秒の次回予告で最低限わかる情報の時点でもうデニス万歳祭りは約束されてるんですよ。

だってほら…

デニスが、悪を演じている。

これが最大最強の情報ですよ。

やばいよこれ。アカデミアって組織もその大義もとっくに崩壊してるのに。
もう誰もアカデミアの価値観に縛られる理由なんてないのに。
アカデミアの戦士としてのデュエルを見せる意味なんかもうないはずなのに。
でも、デニスにはあえてそれをやる意味がどうもあるらしいわけ。

自分が壊した街で、自分が傷つけた人達をもう一度傷つけて、遊矢を傷つけてまで。

でもさ……こんな事して一番傷つくのは、デニス自身なんじゃないのか……?

今のデニスが心からアカデミアになる事なんて…もうできるわけがない。
罪の意識を口にして涙を流したデニスに、そんな事ができるわけない……。
自分の大好きなデュエルを、自分自身を傷つけてまで悪の仮面を被る意味が、デニスにはあるというのか……。

……。

こじらせすぎだろ………。

予告からの情報だけでこいつが相当めんどくさい心境で遊矢の前に立っている事がわかる。

これはもはや新しいエンタメである。エクストリームエンタメ自傷行為である。

デニスがこんなわけのわからん奇行をする目的が何なのか、贖罪なのか…どう決着が付くのかも今はまだわからない。

でも少なくとも頭おかしい。

それが確定した時点で私は小躍りし座椅子につまづいて転倒し
ワインで乾杯しヒトカラへ行き一人柿原徹也メドレーをするくらいには嬉しかったのです。

さすが……やはり「イリュージョン」と称して自殺パフォーマンスした男はやる事が違う。
正直惚れ直したぜ!!!!!!!!Σd(>∀・)


…そんな感じで、デニスが自分の生き方にどう決着を付けるのかっていうのが非常に楽しみなわけですが。

でも、この遊矢とデニスのデュエルで出るひとつの結論って言うのは
ARC-Vの作品自体の結論にもだいぶ関わってくると思うんですよね。

ズァーク戦辺りからの話を見ていると、
ARC-Vのテーマは「人の純粋さと悪意は振り子のように揺れている」って事なんじゃないかと思うんです。
ズァーク戦では、笑顔を望む遊矢が純粋さの象徴で破壊を望むズァークが悪意の象徴になっていましたが、
あそこまでスケールでかくなくても、そういう葛藤は誰しもが抱えてるものなんだと言いたいんじゃないかな~と。
劇中のデュエルを見る観客だって、エンタメデュエルに喜ぶ純粋さも持っていれば
暴力的なデュエルに喜ぶ悪意も持っている…という描写がされていますし。

その辺から考えると、デニスって誰よりも振り子の揺れていた人だったと思うんですよね。
遊矢はズァークという自分の悪意を拒んで、ズァークは遊矢という自分の純粋さを拒んだけど、
デニスは自分の純粋さと悪意のどちらにも躊躇いを見せなかった存在だったんじゃないですかね。

結局どちらも選べなかったので自らの命を絶つ、という選択で一度は決着がつけられたデニスの二面性。
それを経て今度はどんな答えが示されるのか、めちゃめちゃ気になります。

そして、ここからはARC-Vへの私の個人的願望なんですが…。

ARC-Vには、「純粋さで悪意を消そう」という結論にはなってほしくないなぁと思っています。
今現在の状況だと、ズァークの心を封印した零羅を笑顔にして
まさに「悪の心(悪意)を消そう」とか言っちゃってるわけなんですけどね!!!/(^o^)\

でも、それってどうなのかな~って思うんです。
純粋さと悪意っていうのはすなわち人の心の光と闇の事であると思うんですよ。
そのどちらもあるからこその人間なんじゃないでしょうか。
光が眩しすぎて闇を塗りつぶしてしまうというのなら、それはちょっと息苦しい…。

「悪意だけの存在ではペンデュラムを揺らせない」なら、純粋さだけでも揺らせないんじゃないですかね。
ペンデュラムが止まってしまっては意味がなくなってしまうんじゃないかと思います。

ここは「純粋さは悪意に勝つ」じゃなくて「純粋さは悪意に負けない」ってニュアンスにしてほしいところですね。

……。

…ハイ、以上!!!放送見る前の特権で勝手にグチャグチャ言ってみました!!!!!!!

あとは放送を待つのみ…!!!!

さあいつでも来いデニス!!!お前の最後のエンタメを見せてくれ…!!!!щ(;∀;щ)