えきふの夢

アニメ・マンガ・ゲームの感想や萌え語りを書いたりしてます。

遊戯王ARC-V 36話感想

遊戯王ARC-V 36話「共鳴する竜」感想




遊矢とそっくりさん達がついに対面し、やっと話が動いてきました。

そして召喚方法ごとに別世界があることもやっと明言されました。
しかし儀式召喚の世界は存在しない模様…EXデッキからの召喚じゃないからかな…/(^o^)\

ユート達のいた世界(ハートランド)ではみんなエクシーズ召喚を使っていて、
素良達のいた世界(というか所属する組織)ではみんな融合召喚を使ってたとの事ですが…。
それぞれの世界に一つの召喚方法しかないわけではなさそう?
なのになぜ召喚方法で世界が分かれてるのか…それはユートもよくわからないそうで。
ん~……結果的には今回も目新しい事実は特にわかんなかった感じかな(´∀`;)

それにしても遊矢・ユート・ユーゴの全然「そっくり」に見えなさが半端ない。
確かに目のパーツは同じだけど、同じパーツでもここまで似てなく見えるもんなんだなぁ。
これに関してはアニメ・マンガ全体におけるキャラクター記号表現というものを考えさせられる…。
キャラクターの区別を付けるための記号として「目のパーツ」っていうのは弱いのかも…。

だってマンガの中にはほぼ全キャラ目の描き方一緒な作品だってあるもんね。
銀魂なんか確か全員新八をベースに髪型や表情を変える事で差別化してるってゴリラが言ってたし。
逆に、同じアニメ内の同じキャラでも作監さんによって目の描き方が全然違う場合もある。
例えば5D'sのアキさんは、設定画にある目頭の強調が本編であったりなかったりする。
終盤ではキャラデザの丸山さんが絵柄を変えて、完全に違う目の描き方になってるし。

それでも、銀魂のキャラが全員「そっくり」には見えなかったり、
アキさんが「別人」になったりしないのは、
見る側がキャラクターを区別するための決め手になるのは「目」じゃないって事だと思う。
ましてや髪型が最大の外見的特徴になってる遊戯王では、
「目のパーツ」の記号としての力は他作品よりさらに弱いんじゃないでしょうか。
(マギのファナリスやコナンの世良・赤井兄妹みたいによっぽど特徴的な目じゃない限り)
あの三人とも髪型があれだけ違ったらもう別人にしか見えないなぁ~。
髪の形か色が共通してたらまだ「そっくり」って思えただろうけど。
ARC-Vの理屈なら、遊戯と翔も「そっくり」って事になっちゃうよなぁ。

えーと、もはやARC-Vから話が逸れつつあるんですけど…(・∀・;)
つまり、顔のパーツの描き方だけじゃ「そっくり」と描写しきれない場合もよくあるわけで、
そういう時にこそ「絵柄」じゃなく「演出」によって描写できるんじゃないかな~って…。
烈火の炎の煉華が紅と「そっくり」に見えるのも、絵柄よりも演出の効果がでかい気がする。
二人の顔がダブる演出が何度もあるから。

だからねっ!ARC-Vでも「演出」によって三人を「そっくり」に見せる描写があったら
きっと面白いと思うんだよ!!そんな話でした!!!!\(^o^)/