えきふの夢

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遊戯王ARC-V 148話(最終回)感想

遊戯王ARC-V 148話(最終回)「ペンデュラムが描く奇跡」感想

 
VRAINS始まるまで1ヶ月空くからって全然感想書いてませんでした(´∀`;)

いや~、ついにARC-Vが終わってしまいましたね。まず言いたいのは、
そのやりたかったテーマを多少強引ながらも3年間最後まで突き通したスタッフの皆さんお疲れ様でしたっていうのと、

ごめん…結末意味わかんなかった……

ですね。

ARC-Vってときどきマジでどう解釈したらいいのかわからなくなるというか、
演出的にはきっと感動する場面なんだろうけど何かすごくひっかかるぞ…??って本気で困惑する時があるんですよね。
今回、最終回にして最大級のそれが来てしまったな、と…/(^o^)\
そういうひっかかりも、話が進んでいくうちに振り返ると「ああ、こういう事を表したかったのかな…?」って
うっすらと納得できた気がしたりしたんですけどね…。でも何せ今回は最終回ですからね…。
これ以上ヒントが出る事はないのです……。マジか……なんてこった……。

遊矢はズァークとは自我が混ざったのに、ユート、ユーゴ、ユーリの意思が混ざらずに個別に存在している意味とは?
最後に別の次元にいたみんながペンデュラム次元に飛ばされたのはなぜなのか?
その後零王の言った「榊遊矢の力で次元がひとつになろうとしている」は気持ち的な意味なのか?物理的な意味なのか?
いや、どっちともとれるように表現してるんだろうけど、どっちだったとして何だっていうのか…?
次元がひとつになる事がいい事なのか…?分かれてる事がいい事なのか…??
遊矢達が統合しちゃいけなかったのは悪魔たるズァークの復活に繋がるからであって、
ズァークが悪魔じゃなくなれば統合するのは全然いい事なのか…??
ユーリのノリノリでひとつになろう願望はユーリの異常性じゃなくて、真理だったのか…???
心も体もひとつになる…それはとてもとても気持ちのいい事なのよ…???

???????????

ユート、ユーゴ、ユーリに関しては、どうも遊矢とは心を通わせたって事になったようです。
146話までの描写ならギリギリ「仲良くなったわけではない」って解釈もできたんですが、
あらすじ文や、ユーゴの「行け、遊矢!」って台詞を聞くと「仲良くなった」って解釈するしかなさそうです。
しかも彼らは、個人としての人生を失くして意識だけの存在になって遊矢の中で生きていく事を
当然のように受け入れているようです。個人として生きる事を全く望んでいないんですよね。
う~~~ん…そっか…そっか……。

いや、元からひとつになりたいとか言ってたユーリはまだわかるんですよ。
ユートもまあ…統合願望があったわけじゃないけど、37話の時点で自分の肉体の死は受け入れたのかなと。
でもユーゴに関しては、どうしてそれを受け入れられるのか全ッ然気持ちがわからなくて…。
ユーゴは自分の人ならざる運命を最後まで理解してなかったと思いますし、
遊矢とは85話で意識がシンクロして心が通じ合ったとも言える部分があったとはいえ、
あれがユーゴが統合を受け入れるのに十分な過程だったかというと、それはどうかなって思いますし…。
だから、彼がそれを受け入れてるのが一人の人間としての意思で決めた事じゃなくて、
ズァークの分身としての本能でシステム的に受け入れられてる事なんだろうな…としか思えないのです。
そうやって本能で生きてるところがユーゴらしさだと思えなくもないんですが…。
「そういう生き物だから」って理由だけで築かれた信頼関係に感動するのはちょっと難しいっていうか…。

瑠璃、リン、セレナなんかはその受け入れるという描写がさらに無だったわけで
柚子の中で個別の意識として生きてるかどうかすらも描写されてないんですけども…。
どういう形であれ彼女たち三人は柚子の中で生き続けているっていう話はしているので、
きっとそちらもレイの分身としての本能で統合は受け入れてるって事…なんでしょうか…。

う~~~~ん……。

そりゃあ…統合が解除できない事自体は145話の時点で覚悟はしてたし、仕方ないのかなって思いますよ。
劇中の話としては、元々遊矢と柚子以外の分身達は完全に消滅してしまったんじゃないかってところで
いや実はその魂は生きてるんだよって流れだったので、それがあっただけ救いだったって話なんでしょう。
「複数の人間が一人の人間として統合して生きていく」っていう結末の切なさややるせなさは
10年以上前の某生まれた意味を知るRPGで散々味わい尽くしましたし…それ自体が受け入れられないわけじゃないですよ。
ただ、それを受け入れる(ユーリ・ユート以外の)分身達自身の意思の描写があまりにも少なかった、もしくは一切なくて、
見ている側としては「彼ら彼女らは本当に一人の人間としてこれが幸せなのか?」っていう確証が持てないまま
「みんな納得してます」って体で進んで行ってしまったのがすごく空しい。

分身のみんながどうやって納得したのかって言う部分は、視聴者の想像に委ねてほしくなかったですね…。
だって、そこ委ねちゃったらキャラクターの気持ちに寄り添えなくなっちゃいますもん。ついて行けない。
わかろうとしてがんばって想像で補ったとしても、結局それは本編の描写にない妄想の域を出ない…。
本編の空白を妄想で補う遊びは確かに楽しいですけれど、勝手に補うのが楽しい部分と、
そこは絶対に本編で描写してほしいって部分があるんですよ…。そしてこの最終回はそれを描写してくれなかった…。

瑠璃・リン・セレナに関しては、あの描写のなさだとバッドエンドだとすら解釈できちゃうんですよね。
統合前の明確な描写としては肉体の消滅に恐怖して涙を流していたのが最後なわけで、
ユート・ユーゴ・ユーリのように「受け入れている」っていう描写もないんです。
「きっと受け入れてるんだろうな」って想像で補わない限り、かなり悲惨な悲劇なわけで…。
私はARC-Vにバッドエンドとも解釈できる終わり方をしてほしくなかったなぁ~…って…。

も~~~~公式の意図がわからねぇ……。ハッピーエンドでもバッドエンドでも好きな方で解釈してねって事なのか…。
いや…たぶん切ないけどハッピーエンドにしたつもりだと思うんですよ…たぶん…。
しかし…某生まれた意味を知るRPG的に例えると…ガラス玉の数が「切ない」じゃ済まないレベルっていうか…。
あと数の問題だけじゃなくて、キャラクター達自身の意思を曖昧にして終わった事にも困惑する…。
心情に関しては純粋に尺が足りなかったのかもしれないとも思うけど…。

結末に関してまとめますと、分身達の統合は覚悟してたけどそれぞれの意思をもうちょっと丁寧に扱ってほしかった、
次元が統合される事に関してはどう解釈していいのかわからない、って感想です。

そんなわけで、肝心なところを視聴者の想像に委ねちゃったのは残念に思ってるんですが…。
ユーリに関してだけは、曖昧にしてくれた事にほっとしていたりもするんですよね。

オッドアイズヴェノムが召喚された時、口上で「慈愛の玉眼」と言われ、
明日香と素良にも「なんて清らかなの」「ユーリのドラゴンが浄化された」と言われています。
私は初見の時、桜の花びらが舞い散る演出にユーリの眉毛の形を思い出して素直に感激しつつも、
上記の台詞にはえっ…??それってユーリが改心したって事なの…???って頭を抱えてしまいました。
私は悪役の改心にはうるさいので、遊矢と和解する過程も自らの罪を悔い改める過程もなしに
ユーリがいい子になったとか言われちゃうと、ちょっと普通にマジギレ案件なのです。

しかし…よくよく考えたらユーリが悔い改めたなんて一言も言ってないじゃん!?!?と。

だって、ユーリが浄化される理由を考えてみると「(統合によって)孤独ではなくなり、満たされたから」しか思い当たらない。
そしてそうやって満たされるに至ったのも、ユーゴをブッ殺し、遊勝さんをブッ殺し、遊矢を自分に振り向かせ、
遊矢にデュエルでは負けても遊矢をズァーク化させて吸収された…その成果ですよ。
ゴーインマイウェイで人の命も心も踏みにじり目的を達成した結果ユーリは満たされ幸せになったのだと解釈できるわけで。
その場合、ユーリが自分の悪事を後悔する理由なんてどこにもないじゃないですか。
今後他人に悪意を向ける事がなかったとしても、それは単に寂しさが埋められてもう満足してるからってだけかもしれない。
結局ユーリは完全独走一人勝ちしたって事でいいのでは!?!?!?(゚∀゚)

いやわかんないよ!?公式的にはユーリは本当にいい子になったって事なのかもしれないよ!?
でもそうじゃないって解釈できる余地はめちゃくちゃあるのです!!!!
それがユーリの†気高き毒の花†っぷりが好きだった私にとっては、救いでした。

とはいえ…「ユーリはユーリのままでいて良かった」っていうのが、単に私にとって都合のいい解釈じゃなくて
公式の示した答えであってもいいんじゃないか…とも本気で思うんですよ。

私がそう考える根拠が、94話のジャックVSセルゲイの結末で。
セルゲイがデュエルの結果命を落とす結末だろうと、あの超絶メタクソド変態犯罪者なセルゲイの生き方が否定もされず、
あれが「デュエルによって分かり合えた」ってひとつの正解として示されたのってすごい事だと思ったんです。
その「分かり合えた」っていうのも、悪事を反省するとか、どっちが正しいかって話じゃなくて。
ただお互いがお互いらしさを貫き全力でデュエルした結果お互いが満たされ、観客の胸にも響いたという。
ARC-Vは「悪者は反省しなくちゃいけない」って作品じゃないはずなんですよ。そういう懐の深さがあるんです。

だからユーリだってその狂った価値観をそのままで許されてもいいと思うんですよ、ARC-V的には。
遊矢がユーリを説得する展開にもできただろうに、そっちには持って行きませんでしたしね。
ユーリがユーリのまま生きられて、これ以上人を傷つけず、孤独を感じず、幸せになれる唯一の場所っていうのが、
遊矢の心の中だったという事なのかなと。それはある意味、ユーリにとって優しい世界だったんじゃないかと。
それが答えでもいいと思うんです。

以上が、統合だとかの結末自体に対する感想です。

そこ以外の話をしますと、今回の遊矢と零児のデュエルは素直にめちゃくちゃ面白かったです。
私は遊矢のああいうエンタメデュエルが大好きなんですよ。ああやって相手が遊矢のステージに乗らざるを得なくする感じ。
ゲーム(駆け引き)としての緊張感がありつつショー的な楽しさと両立してる感じ。
駆け引き関係なくモンスターが楽しくワイワイする演出をする…っていうのも遊矢の持ち味ではあるんですが、
私の好みの話をするとやっぱりデュエルには勝負事としての緊張感は欲しいので、あれはあんまり好きじゃないんですよね^^;
113話の勝鬨戦の時や、今回のようなエンタメデュエルが個人的には一番ワクワクします。
サーカスっていうのは、ただ楽しげな事をするんじゃなくてちょっと危ない曲芸をやるのが楽しいものですからね!

アクションカードを使い、プレイヤーがモンスターに乗るっていうアクションデュエル。
このルール的にも映像的にも特殊なデュエルはスタッフさんにとって本当に扱いが難しかったんだろうなって思います。
気合の入った回だとめちゃくちゃ面白いんですけど、その分そうでない時の落差が激しくて、面白さが安定しなかったと思います。
すごい序盤(10話の柚子VS真澄のほぼスタンディングデュエル)で既に持て余してる感も出てて、
遊矢がオッドアイズに乗った3DCGモデルもせっかく作ってあるのに思ったよりも使われなかったんですが…。
143話からのアクションデュエルは、駆け引き的にも、映像的にも本当に面白かったです。(145話はそこまでアクションしてないけど…)
ゲーム内容的にはアクションカードを取るのを妨害するっていう攻防も頻繁にありましたし、
映像的にはまさに「モンスターと共に地を蹴り宙を舞いフィールド内を駆け巡って」いました。
遊矢とオッドアイズの3DCGもいっぱい使われましたしね。
序盤の頃はアクションデュエルっていまいち好きになれなかったんですが、最終的にすごく楽しめたので嬉しかったです。

遊矢の零児とのライバル関係も、単純に絡む回数が少なくて消化不良な部分も大いにあるんですが、
最後に遊矢が零児を慌てさせるっていう一番見たかったものは見られたので、良かったです。

総合しますと…結末自体には複雑な気持ちになってはいるんですが、
私はこの最終回を、遊戯王ARC-Vという作品を楽しむ事ができました。
決して、手放しに「ありがとう!!大好き!!」と言える気分ではないのですが…。
遊戯王ARC-Vを見ていて良かった。これだけは自信を持って言えます。

今までのシリーズをある意味否定するテーマ、3年通して休まず一本の物語をやるという難しい構成、
アクションデュエルという特殊なデュエルに挑戦した事は決して無駄ではなかったと思います。

書く気力があれば全体に関する感想もまた別に書きたいんですが、とりあえずここまでとします。

3年間、お疲れ様でした。