えきふの夢

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遊戯王ARC-V 139話感想

遊戯王ARC-V 139話「闇に染まる眼」感想

 
今回の話で、クロウに「負けるのが怖いのか?」と問われたズァークが動揺しました。
そんでもって、零王と対峙した時には人間だった頃の自分の気持ちも語ったりなんかしていました。
しかもその時だけ一人称が「我」でなく「俺」になってて。

覇王龍と化したズァークが登場した時点では、その口調や振る舞いが人間だった頃とだいぶ違ったので、
遊矢達分身の意識だけじゃなく人間ズァークの意識も飲まれてしまったのかな…?なんて考えましたが…。

これは、覇王龍ズァークの心は人間ズァークの心をそのまま引き継いでるって考えて良さそうですね。
今の姿も振る舞いも、観客に求められた過激なデュエルを演じ続けた果てにそうなったんであって、
ズァーク自身は神様のような存在でもなんでもないんでしょうね~。こいつただの人間ですわ…。

こうなると、遊矢の救済とは別にズァークという人間の救済があってほしいと思っちゃいます。
遊矢も「敵(ユーリ)を倒す事」を求められて勝利した結果ズァーク化してしまって、
人々の歓声が呪いになってしまったって点でズァークと重なりますし…。
二人が抱えた問題は同じだったわけですから、ズァークを救わない事には榊遊矢の問題も解決されないんじゃないですかね…?

今のところはみんな「遊矢」を助ける事に必死で、誰も「ズァーク」には構ってあげられてないんですけどね(´∀`;)
いやそれは全然しょうがない事だと思いますけどね。遊矢の姿をしていて、みんなは遊矢の仲間なんですから。
でもなんかこう…まずは遊矢を助けて、そんで遊矢がズァークを助ける展開になれば素敵だと思うんですけどね~~…。
物理的にどうやるんだそれって感じですけど…う~ん…
だって彼の気持ちを一番わかってあげられるのは遊矢だと思うんで……なんとか頑張って!!Σd(>∀・)

しかしまあ、そこら辺は今の段階の論点ではないですよね。
ひとまず横に置いておきましょう(っ´∀`)っ□

今は、みんながズァークの中から少しでも遊矢(あるいはユート)の欠片を見つけようともがいているけど
果たしてそれは本当に「遊矢」のものなの?っていう絶望の予感に怯えるフェイズなのかなと思います。

いやほんとにスタッフさんがそういう意図で今のシナリオ構成してるか知りませんけど、私が勝手に怯えてます。

だって怖いじゃないですかぁ~…。ズァークがダークリベリオン使ったのはユートの意思が生きてるからだとか、
エンタメに反応したのもオッドアイズを使ったのも同様に遊矢の意思が生きてるからだってみんな言いますけど、
私は本当にそうだとは確信しきれなくて怖いんですよぉ~…(((´Д`;)))

そりゃあみんなにとってはダークリベリオンはユートのでオッドアイズは遊矢のですけど、
元々あのドラゴン達は全部ズァークのモンスターだったんだからズァークが使う事は当然じゃないですか~。
別に全然特別な事じゃないじゃないですか~。
ズァークに遊矢達四人の欠片があるんじゃなくて、四人にズァークの欠片があるんじゃないですか~。
そもそも分身なんだから四人がズァークの欠片そのものなんじゃないですか~。時系列おかしいじゃないですか~。
エンタメに応えてるのだって、ズァークは人々の期待に応えようとする生き物だから
ノリよく反応してくれてるだけかもしれないじゃないですか~。

それを遊矢やユートの証だって思うのは、ただみんながそう思いたいだけかもしれないじゃないですかぁ~~…。

みんなが必死に頑張る姿はもちろんかっこいいし、間違ってないと思うんですが、
結局みんなの遊矢を信じる根拠がどちらかというと願望から来るものに見えるので、
みんなの呼びかけに反応しているのは本当に「遊矢」なのか?ってどうしても不安になるんですよね…。
クロウの挑発に反応したのは、それがたまたま「ズァーク」にとっても刺さる言葉だったからとも思えます。

でも、次回予告で零児が示した「かつてのズァークはペンデュラム召喚を使わなかった。創始者は遊矢。
ペンデュラム召喚を使っている事こそ榊遊矢が生きている証」って根拠は願望じゃなくて客観的事実に基づいていて、
おっ、いい感じに別の角度からアプローチかけてきたな!って関心しました(´∀`)

でも次の瞬間にズァークさんが「ペンデュラム召喚の真の創始者は我」とか
衝撃の真実ゥを言い出したのでやっぱり私の震えは止まりませんでした(((´∀`)))


確かに、第1話でも遊矢がペンデュラム召喚を初めてやったのは遊矢自身の意思でやったというよりは
明らかに遊矢じゃない別の何かの意思に導かれてやった、って感じでしたし…。

私もあれは遊矢の意思じゃないなってずっと思ってたもんで、
序盤に修造さんが「ペンデュラム召喚の創始者として胸を張れ」と諭したり、
シンクロ次元編でそれを思い出して「ペンデュラム召喚こそ俺の言葉」って結論を出した事に
いまいちスッキリとした解釈ができなかったんですよね。えっでもあれ君の意思じゃなかったじゃん??って。
自分の意思じゃなかったものをなんでそんなに誇れるの??そこはエンタメじゃないの??って。
遊矢が新しい召喚法を生み出した事、そしてそれにこだわる事の意味が私にはまだよくわからないんです…。

次回はそこの核心に迫ってくれそうなので、今度こそ答えが見つかるかもしれません。
期待してます!(・∀・)